カール石川とは

カール石川とは

カールってだれ?

奇跡を起こしてきた男、奇跡を起こす男、カール石川

 はじめまして。カール石川です。
 私は学生時代に起業し、会社を経営しながら、いろいろな所に企画書を提出し、様々なムーブメントを起こしてきました。なぜか全く有名ではありませんが、すでに日本中の全ての人が私の影響を少なからず受けているというほど、世の中を塗り替えるヒット企画を連発して来ました。東京(渋谷区渋谷)で経営しておりました会社を精算し、5年ほど広島に帰り、小さな広告代理店を経営しておりましたが、会社を人に任せ、本当に一番やりたかった音楽プロデューサーの仕事に復帰すべく2年前から神奈川県厚木市を基地にしてクリエイティブな活動を再開致しました。
 下記の実績を見ていただけたら、私が有名でないのが不思議だと思われると思います(この他にも、いろいろ実績があります)。
①私が29才の頃、テレビ朝日に提出した企画書が認められ、テレビ朝日の20人くらいのプロデューサーを前にして定期的にいろいろな提案をする仕事を頼まれました。当時テレビ朝日はものすごく業績が悪く、ドラマもろくなものが無く、2パーセントの視聴率しかないものがほとんどでした。私はもう自力でドラマを作るのはあきらめて「原作はもう漫画にする」、「制作はもう共同テレビに頼む」」、「ドラマはリッチな生活を見せればヒットする」なとどと提案し、本当にテレビ朝日の倒産を救ったのではないかというくらい貢献しました。その中で大きな実績なのが「OH!エルくらぶ」という番組の中でテレビで初めて「風水」をやれと言ったことです。風水はそれまでほとんど誰も知りませんでした。私が大型書店でたった一冊しか置いていなかった薄い本を見つけたのが大ブームのはじまりです。(今では100冊以上あるでしょう。)テレビ朝日の人が「ドクターコパ」を勝手に呼んで来てスターにしました。
 長くなるのでここでは説明しきれませんが、もうひとつ大きな実績があります。エーベックスグループを成功に導いたり、音楽業界、テレビ業界のバイブルになったかもしれない文章(若者の心理に関するもの)をテレビ朝日に提出しました。
 テレビ朝日ではこのほかにも「家政婦は見た」を毎週放送するように提案したり(市原悦子さんブームが起きた)、ニュースステーションのセットやオープニング、「テレ朝は日本」キャンペーンなどたくさんの実績を残しました。
必読企画書の画像1  「アトランティスの記録庫を発掘せよ」の企画書の画像
②JR東海の「そうだ、京都に行こう」というCMのシリーズは、私が日産のジェイフェリーという車のCM用に考えた企画です。私が選曲した「MY FAVORITE THING」という曲は大流行しました。
企画書の画像2
③書道家榊莫山を有名にしました。(宝酒造「よかいち」のCMを企画しました。)企画書の画像3
④ウルフルズを有名にしました。(「ガッツだぜ」のプロモーションビデオを企画しました。)
⑤サザンオールスターズ「エロチカセブン」のプロモーションビデオ(金の扇子バージョン)の企画をしました。2010年末に桑田さんが紅白歌合戦に特別出演した時にも、この企画書をモチーフにした演出でした(桑田さんが金の扇子を持って、芸者ガールが踊った)。企画書の画像4
⑥「バサラ」という言葉を流行させました。(サザンオールスターズ向けの企画書をいろんな所へ、アレンジして送った為、谷村新司さんの「バサラ」という曲ができたり、テレビ番組ができたりしました。1991年にはついにNHKも大河ドラマ「太平記」で、婆娑羅大名を準主役級にしました。そしてあの戦国BASARAが登場してくるのです。)
⑦イリュージョンが流行するきっかけを作りました。(デビット・カッパーフィールドがTBSの番組で東京タワーを消すという企画を提出しました。)
⑧滝川クリステルを有名にしました。(CBSナイトリーニュースを真似してフジテレビ「ニュースジャパン」を作るように提案しました。)企画書の画像5
⑨NHK朝の連続小説「ひまわり」の企画・制作にヒントを与えました。
⑩フジテレビ「音楽の正体」の企画・制作にヒントを与えました。企画書の画像6
⑪テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」の企画・制作にヒントを与えました。(テリー伊藤さんの制作会社「ロコモーション」が作っていた最盛期、いろいろ過激な企画を出し、はからずも、アメリカのコメディードラマ「奥様は魔女」が再流行するきっかけを作ったりしました。それがバッグとジュエリーのブランド「サマンサタバサ」なんかにも繋がっていくのです。私は関係ないですが、あのX JAPANも実はテリーさんという天才が生みの親だと考えています。)

 上記の実績につきましては、全て企画書が残っております。

私が考えた大ヒット商品について

 ここでは詳しく書きませんが、私は大ヒット商品の基本アイデアもいくつか考えました。

カール石川のカールとは

Karl Lagerfeld
 「カール」は、私が敬愛するLVMH(モエヘネシールイヴィトン)グループの巨匠、元シャネル、フェンディ、クロエのデザイナー、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld 1933年9月10日 - )から襲名し、これから私が死ぬまでクリエイティブを突き詰めていくという決意を表しています。
 彼は今78歳ですが、そのクリエイティビテイーはおとろえることを知りません。
パリコレの第一線で活躍する超一流モデルを被写体にし、怪しい手袋をはめてバシバシシャッターを切る姿は、絶大なる権力と強烈なクリエィティビィティーを感じさせます。
PIRELLI CALENDAR 2011 by Karl Lagerfeld

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